こんばんは、読書大好き、
ライブラリー滝川@~マイレージ・クレジットカード~ マネーテクニック!です。

我ながら結構な本を読んでいる方だとは思いますが、
なかなかブログに感想を書くことができずにいます。
本当は読書記録も兼ねて全部ブログ記事の形で残しておきたいのですが…。

さて、今回は、今更感満載ですが「国家の品格」を読みましたので
感想を書き留めておきたいと思います。
ちなみにこの本、2歳の息子と一緒に図書館に行った際、
なぜか息子が本棚から取り出して握りしめていたので借りてきた、という本です(笑)。


読後の感想ですが、講演会を文字起こししたもの、ということもあり、
その辺のおっさんが言いたい放題言っている、という感じで、面白かったです。
しかしながら、なかなかどうして、言っていることは的を射たことも多かったです。

というわけで、気になった点をいくつかメモしておきたいと思います。

西欧的な論理、近代的合理精神は破綻している

「論理を徹底すれば問題が解決できる」という考え方は誤りです。

論理には限界があります。
論理的に正しいことが、本当に正しいかどうかは別の問題だからです。
例として挙げられているのはアメリカの英語教育です。
社会に出ればタイプを打つから、という理由でタイピングの授業が設けられました。
これは論理的に正しいですが、結果的に、
打つべき内容(英語)の崩壊を招いたと言われています。
日本の、「小学生に英語」も同様に、
論理的には正しいが、英語の勉強で国際人が育つわけがない。
そんな時間があったら国語を勉強するべき、と主張しています。
管理人的にも、非常にアグリーです。

受けるのはワンステップの論理だけ

国民に受けるのは、「国際化だから英語」といった、いちばん分かり易いワンステップの論理だけです。

分かり易いことにより思考停止に陥ってしまうと、
見誤るんだと思います。

最も重要なことは論理では説明できない

不完全性定理というのは、大ざっぱに言うと、どんなに立派な公理系があっても、その中に、正しいか正しくないかを論理的に判定出来ない命題が存在する、ということです。正しいか誤りかを論理的に判定出来ないことが、完全無欠と思われていた数学においてさえある、ということをゲーデルは証明したのです。

簡単な例ですが、なぜ人を殺してはいけないか、
ということは論理では説明できないんですよね。
ダメだからダメ、しかないんです。

論理には出発点が必要

(論理の出発点である)仮説を選ぶのは、論理ではなく、主にそれを選ぶ人の情緒なのです。

論理は、AだからB、BだからC、という形で検証されるものです。
このAが正しくなければ、いかに筋道だって論理的に証明されていても、
正しくない結果が導かれてしまいます。

論理は長くなりえない

AからZまでの論理系としての信憑性は、各ステップでの確率を全部かけ合わせたものにより計られるということです。
そうすると、数学の場合は各ステップが全部1ですから、百万回かけてもその積は1のままです。
ところが一般の世の中での論理には、1と0は存在しません。絶対的に正しいことは存在しないし、絶対的な間違いも存在しない。

「人を殺してはいけない」は普通に考えれば正しいですが、
死刑は合法的な殺人ですし、
戦争時の戦闘行為における敵兵の殺害も正当な行為とされます。つ
まり、完全に真っ白な論理ではないのです。

なぜインドでソフト産業が栄えるか

インドでソフト産業が栄えているのは、
小さい頃からパソコンに慣れ親しんでいるからではもちろんありません。
数学の基礎を身に着けている人が多いからです。

欧米人の論理の出発点

欧米が論理の出発点とした「自由」は、積極的に賞賛すべき概念ではない。
自由の強調は身勝手の助長にしかつながらない。
社会には法律や道徳、倫理があり、完全な自由は存在しない。

なんでもかんでも自由だと、
北斗の拳みたいな世界になります(笑)。

ロックの「統治二論」は極めて無責任

国家とは、国民の自由で平等な契約によって作られる、と述べました。国民主権のことです。著書中に「人間は生まれながらにして完全な自由をもつ。人間はすべて平等であり、他の誰からも制約を受けない」とも記しました。
そして、個人は自由に快楽を追求してよい、全能の神が社会に調和をもたらしてくれるから、と述べました。

ロックこそ、自由主義、功利主義、近代資本主義の祖だと言えます。
この考えは、当時のプロテスタンティズムが背景にあるようです。
しかもそれを拡大解釈しています。
要は、出発点が、当時の彼らに都合のいいところ、なんですよね。
アメリカの独立宣言も同様に自由とか平等とか言っていますが、
バリバリの奴隷制度が存在していたり、矛盾しています。

民主主義は素晴らしいのか

民主主義の根幹はもちろん国民主権です。主権在民です。
主権在民には大前提があります。それは、「国民が成熟した判断をすることができる」ということです。

実際には、国民が成熟した判断をできる状態になっている国はありません。
第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、国民の戦意が昂揚された結果です。

マスコミが第一権力に

民主主義の本質は主権在民ですが、主権在民とは、「世論がすべて」ということです。そして、国民の判断材料はほぼマスコミだけですから、事実上、世論とはマスコミです。言い方を変えると、日本やアメリカにおいては、マスコミが第一権力になっているということです。

民主主義でマスコミが発達すると政治がポピュリズムに流れるのは
当然の帰結であり、非常に納得的だと思います。
民主主義国家で最も権力を持っているのがマスコミ、というのは、
決して正しい姿だとは思いませんが、事実だと思います。

「真のエリート」が必要

国民は永遠に成熟しない。放っておくと、民主主義すなわち主権在民が戦争を起こす。国を潰し、ことによったら地球まで潰してしまう。
それを防ぐために必要なものが、実はエリートなんです。真のエリートというものが、民主主義であれ何であれ、国家には絶対必要ということです。この人たちが、暴走の危険を原理的にはらむ民主主義を抑制するのです。

ちなみに、官僚は真のエリートではありません。
真のエリートは、以下の2つの条件を満たしている必要があるそうです。

1.なんの役にも立たないような教養を背景に、
庶民とは比較にもならないような圧倒的な大局観や総合判断力を持っていること
2.いざとなれば、国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があること。

「情緒」と「形」の国、日本

私は、ガーナ人でガーナを愛さない奴がいたらブッ飛ばします。

日本人なのに、日本を愛せない教育を受けている人は、悲しいと思いました。
著者は、ナショナリズムではなく、パトリオティズムを、と主張しています。

品格ある国家の指標

その1 独立不羈
その2 高い道徳
その3 美しい田園
その4 天才の輩出

著者も書いていたと思いますが、結局のところ、グローバルな競争では、
「情緒」に訴えたところで、どうしても弱くなってしまうところは否めません。
しかし、長期的に見れば、日本が取るべき戦略は
「情緒」と「形」を重視した教育、
そして外交面では、ナショナリズムではなくパトリオティズムに基づいて
国益を最優先すること、ということなのかもしれません。
あとは、この考え方を現在の民主主義社会の日本で
いかに実行していくか、ですかね。

というわけで、いろいろと考えさせられる本でした。
オススメです。

国家の品格
★★★★

星の基準
★★★★★ 手元に置いて何度も読み返したい名著 買って配りたい
★★★★ また読みたい、いい本。他人に勧めたい
★★★ よい本だった。また読むかは微妙。
★★ 読む価値のある部分もあるが…。また読むことはなさそう。
★ 時間の無駄だった。